1976年(昭和51年)に誕生した。社会人野球最高のイベント都市対抗野球大会の初期はクラブチームが主役だったが、第2次世界大戦後は企業チームにその座を譲った。しかし、函館太洋倶楽部をはじめ戦前からの伝統を持つ名門チームを始め、地元の人々と密着しながら野球を愛する各地のクラブチームの間から大会設立を望む声が大となった。かねてからクラブチームへの助成を検討していた日本野球連盟は、この声を受けて大会創設を決め、毎日新聞社とともに主催することになった。
第1回大会は8月23日から3日間、東京・明治神宮外苑球場で各地の予選を勝ち抜いた10チームが参加して行われた。神宮球場は都市対抗野球大会の最初の舞台、社会人野球ゆかりの地である。オープニングゲームは函館太洋倶楽部-全大津戦で函館太洋が10-2で白星を飾った。なお、大会の名称は「全日本クラブ対抗野球大会」。現在の「全日本クラブ野球選手権大会」となったのは1990年(平成2年)の第15回大会からである。
平岡杯について
日本初の本格的な社会人野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成した故・平岡(ひろし)氏の功績とその名を後世に伝えるため第35回大会(2010年)に制定。優勝チームに贈られる。日本野球の草分けの一人だった平岡氏は、1959年に橋戸信、久慈次郎らとともに第1号で野球殿堂入りしている
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西暦 | 回数 | 優勝チーム | 準優勝チーム |
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2002年 | 第27回 | 大和高田クラブ | 全足利クラブ |
2001年 | 第26回 | 大和高田クラブ | 水沢駒形野球倶楽部 |
2000年 | 第25回 | 全伊勢崎硬建クラブ | 大和高田クラブ |
1999年 | 第24回 | WIEN'94 | 全伊勢崎硬建クラブ |
1998年 | 第23回 | アムウェイレッドソックス | 全府中倶楽部 |
1997年 | 第22回 | 全足利クラブ | 熊球クラブ |
1996年 | 第21回 | 鹿島レインボーズ | 水沢駒形野球倶楽部 |
1995年 | 第20回 | 全足利クラブ | WIEN BASEBALL CLUB |
1994年 | 第19回 | 全伊勢崎硬建クラブ | 全太田野球倶楽部 |
1993年 | 第18回 | 全足利クラブ | 全太田野球倶楽部 |
1992年 | 第17回 | 一関三星倶楽部 | 郡山ベースボールクラブ |
1991年 | 第16回 | 天城ベースボールクラブ | 一関三星倶楽部 |
1990年 | 第15回 | 静岡硬式野球倶楽部 | 札幌倶楽部 |
1989年 | 第14回 | 全足利クラブ | 一関三星倶楽部 |
1988年 | 第13回 | 五大化学クラブ | 静岡クラブ |
1987年 | 第12回 | 全足利クラブ | 函館太洋倶楽部 |
1986年 | 第11回 | 全足利クラブ | 函館太洋倶楽部 |
1985年 | 第10回 | 全足利クラブ | オール常交 |
1984年 | 第 9回 | 全府中倶楽部 | 全足利クラブ |
1983年 | 第 8回 | 全足利クラブ | 全府中倶楽部 |
1982年 | 第 7回 | 全足利クラブ | 全浦和野球団 |
1981年 | 第 6回 | 大和クラブ | 全足利クラブ |
1980年 | 第 5回 | オール常交 | 全足利クラブ |
1979年 | 第 4回 | 山梨球友クラブ | オール防府クラブ |
1978年 | 第 3回 | 全浦和野球団 | 全足利クラブ |
1977年 | 第 2回 | 全浦和野球団 | 山梨クラブ |
1976年 | 第 1回 | 全浦和野球団 | 全足利クラブ |