1974年(昭和49年)10月28日、阪神甲子園球場で誕生した。それまで夏に都市対抗、秋に産業対抗と、社会人野球の二本柱といえる大会は、いずれも選手の補強制度をとっていた。その数年前から「単独チームで争う選手権大会を」という声が高まり、日本社会人野球協会(現日本野球連盟)で検討していた。設備投資、技術革新によって高度成長を果たしてきた日本経済に陰りがみえ、産業構造に変化がきたしはじめると、鉄鋼、鉄道、炭鉱、自動車、百貨店・商業といった部門で争う産業対抗は、部門の区分けがあいまいな面が現れ、各地から選手を補強するのが難しく、チーム編成が困難な部門も出てきた。
この大会自体「単独チームでやっては」という意向もあったが、73年の第23回大会を最後に発展的解消し、改めて日本選手権が甲子園でスタートすることになった。その後、第7回大会から大阪球場、第17回大会からグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)、第24回大会からは大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)に舞台を移し現在に至る。優勝チームには、野球場と最高位を表現する“ダイアモンド旗”が贈られる。 佐伯達夫杯について1980年(昭和55年)春に大会の生みの親の一人であり、社会人野球協会の副会長で近畿社会人連盟会長であった佐伯氏が死去、功績を讃え、第10回記念大会に佐伯達夫杯が作られた。優勝チームに贈られている。 ダイアモンドエンブレムについて2007年(平成19年)に制定された。厳しい試合を次々に勝ち抜き、単独チームで全国の頂点に導いた選手達に贈られる。 |
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開催場所:xxxx |
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開催場所: 京セラドーム大阪 |
2011年度の日本選手権大会 東日本大震災の関係で、中止。 |
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西暦 | 回数 | 優勝チーム | 準優勝チーム |
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2002年 | 第29回 | 日本生命 | ホンダ |
2001年 | 第28回 | 三菱重工長崎 | 東芝 |
2000年 | 第27回 | 松下電器 | 東芝 |
1999年 | 第26回 | シダックス | 松下電器 |
1998年 | 第25回 | NTT関東 | 日本生命 |
1997年 | 第24回 | 三菱重工神戸 | 住友金属 |
1996年 | 第23回 | 住友金属 | 西濃運輸 |
1995年 | 第22回 | 三菱自動車川崎 | 三菱自動車京都 |
1994年 | 第21回 | 日本通運 | 日産自動車 |
1993年 | 第20回 | 住友金属 | 日産自動車 |
1992年 | 第19回 | 東芝 | プリンスホテル |
1991年 | 第18回 | 日本石油 | 大阪ガス |
1990年 | 第17回 | 日本生命 | 日本石油 |
1989年 | 第16回 | 住友金属 | 日本石油 |
1988年 | 第15回 | 東芝 | 本田技研熊本 |
1987年 | 第14回 | 中山製鋼 | 熊谷組 |
1986年 | 第13回 | NTT東海 | 阿部企業 |
1985年 | 第12回 | 本田技研 | 日本楽器 |
1984年 | 第11回 | 住友金属 | 東芝 |
1983年 | 第10回 | 住友金属 | 東芝 |
1982年 | 第9回 | ヤマハ発動機 | 日本通運 |
1981年 | 第8回 | 富士重工業 | 大昭和製紙北海道 |
1980年 | 第7回 | 日本鋼管福山 | 日本楽器 |
1979年 | 第6回 | 住友金属 | 松下電器 |
1978年 | 第5回 | 北海道拓殖銀行 | 東京ガス |
1977年 | 第4回 | 住友金属 | 電電四国 |
1976年 | 第3回 | 新日鐵名古屋 | 日鉱佐賀関 |
1975年 | 第2回 | 鐘淵化学 | 北海道拓殖銀行 |
1974年 | 第1回 | 三協精機 | 日本鋼管福山 |